◎メガリークの衝撃:ロンドンで聞くエジプトの声 (その8)
刻々と変化するエジプト情勢から目が離せず、家にいる限りはテレビをつけっぱ なしにしてウォッチングしています。それらの一部をタイプして自分のブログ
http://newsfromsw19.seesaa.net/
に掲載し、TUPのMLにも流したところ、メンバーからTUP速報の読者とも共有 しようとの提案があってシリーズで速報することになりました。今回は第八弾を 速報します。
第一弾~第七弾(速報875号~)はTUP速報のホームページでお読み下さい。
https://www.tup-bulletin.org/modules/contents/
藤澤みどり/TUP
<第12信>
2011年02月06日
革命なう@エジプト 第13日(2月6日SUN)
雨も降ってるし、なんだかお祭りのあとみたいな土曜深夜のタハリール広場 [註1] で(実際にはまだ数千人が寝泊まりしてるんだけど)、BBCのレポーターが若者に聞いた。「タハリール広場ではどんなことをしているんですか」。
「なんでも」と若者は答えた。「音楽やポエトリー・リーディングや意見の発表や、礼拝や食事や結婚式もあった」
ムスリム同胞団や他の反政府勢力がスレイマン副大統領とのネゴシエーションのテーブルに場を移し、広場は子どもと若者と大人たちからなる普通の人たちの場に戻った。4月6日ユース・ムーブメントなど若者中心のグループは、あくまでもムバラク大統領の退任を求めて話し合いには加わっていない。
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昨日は雨の準備ができていなかったけど今日は違う。追加のテントやビニールの屋根が広場のあちこちにできたので、外を歩いている人は少なくなったけど屋根の下はきっと快適だろう。
さて、蜂起第13日めの日曜の朝。
人々は仕事に戻った。銀行も開いた。渋滞もいつも通り。いつもと違うのは、観光客がいないことと、タハリール広場にプロテスターがいること。
BBCスのタジオのキャスターが現場のレポーターに質問する。「カイロは平常を取り戻しつつあるようですが、街の中心にある広場にプロテスターがいることについて人々はどう言ってますか」
レポーターが答える。「街の中心といってもハイドパークなんかとは比べものならないくらい小さい広場ですから、人々は気にしませんよ」
「周りでは日常生活が始まりましたが、プロテスターはまだ家には帰らないんですか」
「プロテスターの士気は高いです。そして、すごくいい雰囲気で考えられないぐらいピースフルにやってます。なんというか、エジプシャン・グラストンベリーってとこですね。まだまだ終わりません」
笑ってしまった。じゃまものになっていると指摘されれば、いや、そんなことはない、ささやかな抵抗ですからと弁護し、取るに足らない存在だと言われれば、その素晴らしさを語りたくなる。プロテスターを小さく見せたいのか、大きく見せたいのか。レポーターも揺れている。
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過去2週間の取材中、ジャーナリストたちはムバラク支持派に狩り出されて傷めつけられ、約300人が秘密警察に拘束されたという(後に釈放)。負傷者多数、銃撃による死者も1名。そうした経緯からジャーナリストがプロテスター側に同情的になるのは想像に難くない。
エジプト当局は海外のメディア(とりわけアルジャジーラ)がこの抵抗運動を煽っていると非難して、ムバラク支持派によるジャーナリスト襲撃まで仕立てたのに、そのせいでますますメディアを抵抗側に押しやってしまった。
この、世界中が見ている前で展開されたムバラク支持派による暴力の突然の爆発が、官製であることはほとんど疑いがない。政府の中枢からの指示だとの見方があり、スレイマン副大統領が秘密警察の親分である以上、その可能性は低くないだろう。スレイマンが立案し、「ムバラクが了承したもの。このような行動はムバラクの承認なしには行われない」(4月6日ユース・ムーブメント共同創設者のA・サラーフ)という見解もある。
アメリカその他の圧力を受け、新エジプト政府はこの件の調査を約束した。しかし、この政府の元で真実が明らかになることはないだろう。
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2月6日付オブザーバー紙 [註2] は「退陣の日」[註3] 後の広場の様子などを見開きで特集した。見出しにはこうある。
「ムバラクはまだいるけれど、わたしたちの心にはもう革命がある」
広場の様子をクリス・マッグリール記者は以下のように書く。「昨日のタハリール広場では、エジプト社会では通常はちょっとないような混合状態が見られた。貧しい労働者と中流階級。中年の両親と若い理想主義者。イスラム主義者とイスラム政治に恐怖感と疑いを抱く者」。
--アミーラ・イスマーイールは、3歳になる息子のターハーと広場にやって来た。もう5日間キャンプしている。夫のアフマド・アワドが食べ物を求めて周期的に外に出る以外、ムバラクが退陣するまで一家はここを動くつもりはない。
「ここにいるのは息子のためです」と税理士のイスマーイールは言う。「ムバラクは辞めなくてならない。ムバラクがいる世界では息子には未来も、まともな人生もない。わたしたちには息子をいい学校にやるような余裕はないし、かといって公立学校はひどい。ムバラクが人々に馬鹿のままでいてもらいたいからです。いまの政府はムバラクの政府であって、わたしたちの政府じゃありません。ムバラクがいなくなるまでわたしはここにいます。何日でも、何ヶ月でも、何年でもここにいます」
夫のアフマドはコンピュータ技師で、もう何日も仕事に出ていない。エジプトでは、仕事があるってことは何物にも替え難い価値がある。だから、仕事を失うかもしれないと心配してはいるけれど、たとえ失職しても、それは必要な代償だと考えている。
イスマーイールの言葉が見出しでも取り上げられている。「わたしの国に対してああしろこうしろとアメリカに言われたくありません。アメリカは自身のアジェンダを持っています。それはわたしたちのアジェンダではなく、これはわたしたちの革命なんです」
アフマド・マフムードは、黄色い標識を持ってシャッターを下ろした地下鉄の 出口に立っている。その標識にはたった一語、大文字で「FREEDOM」と書いてある。
「もう9日間、毎日ここにいます」とかれは言う。「ムバラクがいなくなるまで毎日来ます。だってわたしたちが勝つのはわかっていますから」
アフマドは35歳の教師で、革命について語る。「人々は変わりました。前は怖がっていた。でももう怖がりません。わたしたちはもうムバラクの作り上げたシステムについて不安になることはやめたんです。わたしたちが勝つことがわかっているから心配するのをやめたんです」
「これは、わたしたちの国の革命であり、わたしたちの心の革命でもあります。ムバラクはあと何日か、あるいは何週間かいまの地位にいられるかもしれないけれど、変化を止めることはできない。わたしたちはもう元には戻りません」--
(上記は以下の記事より一部を引用したものです)
http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/05/cairo-protests-hosni-mubarak-egypt
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アルジャジーラ・イングリッシュがタハリール広場(Tahrir Square)をまた解放広場(Liberation Square)と呼ぶようになった。Tahrirはアラビア語で「解放」を意味する。アルジャジーラがアラビア語の固有名詞を使用せず、英語圏の視聴者に向けて意味を前面に出すのには理由がある。
この広場の名前は、60年前に、腐敗した王政とイギリス植民地主義からの解放を祝って付けられた。81年にサダトが暗殺されたあと、実はサダト広場に改称されていて、実際、標識にはそう書いてあるそうだ。しかし、誰もその名で呼ばない。
この場所、この名前は、エジプト人にとって「独立」の象徴なのだ。
エジプトをよく知る人は言う。
60 年前、エジプト人は血を流して真の独立を勝ち取った。自らの血を流さなければ自由は手に入らないという『解放の記憶』が、大統領のデモ隊に立ち向かう市民を支えているのだろう。ナセル、サーダート、ムバーラクと、半世紀三代続いた独裁からの解放を勝ち取って、新たな解放広場になってほしい。いま、カイロの真ん中で「歴史」が作られている。
戦車に囲まれた突然の解放区、タハリール広場では、クリスチャンのプロテスターのために日曜礼拝が行われた。ムスリムが礼拝するときは、クリスチャンやその他の人々が周囲を取り囲んで手をつなぎ、外からの突然の攻撃に目を光らせている。
検問を受けて広場に入ろうとする人々の列は、ますます長く、ますます太くなっている。何千年も前の王様の墓や死体を見るよりも、ここをいま訪れることのほうがずっとずっと文化的価値が高いんじゃないだろうか。
死んだ歴史より生きている歴史。
壊れていく歴史より積み上がる歴史。
エジプトにいま行きたくなった。
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タハリール広場で
A Walk Through Camps At Tahrir Square
http://www.youtube.com/watch?v=FOGndK3AuXs&feature=player
[註1]
英語圏でTahrirと文字化されている広場名のカタカナ化にあたって、わたしは英語のニュースで聞こえるままに「タフリール」(タにアクセント)を選択していた。しかし、日本語圏の文字情報では「タハリール」と表記されているものが圧倒的に多い。アルファベットの「h」に書き下されるアラビア語の文字の発音は無声咽頭摩擦音とのことで、英語にも日本語にもない。日本語の「ハ」の発音とは違うけれど、「フ」だと子音まで変わるのでもっと遠い。というわけで、いままで採用してきた「タフリール」に代えて、これ以降「タハリール」を使用します。
[註2]
オブザーバーはガーディアン紙の日曜版。紙面掲載は6日だったが、ウェブサイトはアップロードのタイミングで記されるので5日付ガーディアンになっている。
[註3] 「退陣の日」
先週金曜日の大結集を4月6日ムーブメントはDay of Departureと名付けた。この和訳をめぐって翻訳者が多く書き込むツイッターで議論があったらしい(友人に聞いた)。わたしはこの語のポジティブな側に注目して「出発の日」と訳したが、朝日新聞では逆に「追放の日」と訳している。
Departureは単にある場所から離れることを意味する語なのでポジティブにもネガティブにも使えるが、元のアラビア語にも二重の意があるのだろうかとアラビストの意見を聞いた。 それによると
アラビア語の原語では、yaum al-rahiyl (ヤウム・アル=ラヒール)、「ヤウム」が「日」で、「アル=ラヒール」が辞書的意味としては departureとdemise。「ラヒール」は、動詞 rahala の動名詞で、rahala とは、to start,depart, leave, move away 等の意味がある。つまり、ある地点からどこか別のところへ行く、という意味。だから、「出発」であると同時に、「退位、(政権)移譲、(ある地位からの)追放されること」も意味する。この表現には、ムバーラクを退位させてエジプトが新たに出立するという二重の意味がかけれられている。ゆえに「出発」でも「追放」もいい」
とのことだ。
「出発」と「追放」、どちらを選ぶかはどの立場からみるかで変わってくるが、バイアスがかかっていることについてはどちらも変わらない。というわけで、そのツイッターでの話し合いでの落ち着き先となった「退陣」をわたしも採用することにした。ニュートラルで使い勝手がいい。