フェニックス空港不当逮捕事件その後
TUP速報読者の皆様、フェニックス空港での宮前ゆかり不当逮捕事件について、TUP速報922号でお伝えして以来、大変ご心配をおかけしております。
この事件について、月刊『世界』10月号の特集「覇権国家アメリカの凋落――<9・11>10年の現実」で「権利章典の崩壊―わたしはなぜ逮捕されたのか」という記事を書きました。TUP速報として読者の皆様にお届けしたいと思います。同時に、その後について短くご報告いたします。
法律上の問題は未解決のまま、わたしは現在もなお毎週コロラド州デンバーからアリゾナ州フェニックスに通勤を続けています。事件が全米で大騒ぎになったことをきっかけに、デンバー空港ではTSAのプロトコルがかなり改善され、わた しの通勤には問題が生じていません。一方、フェニックス空港での状況は日々悪化しています。不法で威圧的な身体検査が続き、X線スキャナーの強要がまかり とおっています。多くの人々のアドバイスに従い、フェニックス空港通過時にはツイッターで状況をリアルタイムで呟くようにしています。ご興味のある方は @MetalicRadio または @MiyamaeYukari をフォローしてください。
当初の主流報道機関による報道があまりにも酷かったので、米国内でのインタビューはほとんど受けませんでしたが、現在ウェブ上で公になっているインタビューがふたつあります。
ひとつはベテラン・ラジオプロデューサー、シェリー・シュレンダーによるインタビュー。
http://shelleytheradiolady.com/?p=793
9月には911特集の一環としてPBSのNewsHour という番組でわたしのストーリーが全米で放映されました。短いですがわかりやすい説明だと思いました。
http://www.pbs.org/newshour/bb/terrorism/july-dec11/safeskies_09-08.html
現在ニューヨーク市の金融街占拠を発端にして、全米各州50都市以上で市民による異議申し立て行動が広がりつつあります。これは単に経済的格差拡大への抗議だけではなく、巨大企業ロビイストが法治国家の土台である憲法を崩壊に追い込んでいるという危機に、アメリカ市民が目覚めつつあることを示しているように思います。
TUPともども、今後とも応援していただけますよう、どうぞよろしくお願いします。
宮前ゆかり(前書きと本文)
権利章典の崩壊―わたしはなぜ逮捕されたのか
宮前ゆかり: TUP
<フェニックス空港逮捕劇>
二〇一一年七月十四日(木)、その週の仕事を終えてコロラド州に帰るためにオフィスからタクシーに乗り、午後三時二〇分頃にフェニックス空港に到着した。私のフライトは午後四時五〇分発。五月からコロラド州とアリゾナ州を毎週飛行機で往復してきた通勤ルーティンにも慣れ、セキュリティ・チェックポイントの列に並びながら、手荷物二つをいつものようにプラスチックのボックスに入れる。それぞれ脱いだ上着と靴を押し込み、荷物検査用のベルトコンベアー上に並べて裸足のままセキュリティ・ゲートの順番を待っていた。
ふと目を向けると、金属探知機ゲートを通り「パットダウン」(性器も含め身体部位を過剰に触る全身検査)を受けずに旅行者が向こう側に遠ざかって行く。その後ろ姿を横目で見ながら、自分も金属探知機ゲート選択を表明しようと考えた。X線スキャナー・ゲートでは少なくとも一回につき0.09マイクロシーベルト以上の放射線を受けることは知っていた。米国標準技術局(NIST)が全身スキャナー導入について懸念を表明していたことも、全身スキャナーの危険性を警告する医学的調査報告の存在も知っていたので、毎週往復するたびに照射される放射線量が甲状腺に蓄積される危険について懸念があった。
フェニックス空港のセキュリティ・チェックポイントには、従来からの金属探知機のゲートと近年導入されたX線全身スキャナーのゲートの二種類が設置されている。X線スキャナーを選べばパットダウンを受けないという建前になっているが、実際には屈辱的な全身パットダウンを回避できる保証はない。前回フェニックス空港でX線ゲートを通過したにもかかわらずTSA(米国運輸保安局)の職員にパットダウンを強いられ、胸や脇の下、臀部、内股を何度もまさぐられ、裸足なのに足の裏まで触られた経験が頭に浮かび、背筋がぞっとしてきた。
ようやく自分の番になったので、金属探知機ゲート希望をTSAの職員に告げた。すると「このゲートは今閉鎖中だ。パットダウンをする」と言う。「先ほど、このゲートを通っていった人をみかけましたよ」「いや、もう閉鎖したから選択肢はない。全身スキャナーのゲートを通過するか、パットダウンを受けるか、どっちだ」「甲状腺のことが心配なのでX線スキャナーは通過したくありません。毎週通勤していますので、ぜひ金属探知機を通過させてください」「そんな選択肢はない」「どうしてでしょうか」「パットダウンを受けるんだな」「いえ、このゲートを通過させてください」「だめだ。パットダウンするぞ」「いやです」
そうこうするうちに複数のTSA職員がまわりを囲み、ほどなく警察官とともに呼び出された空港セキュリティ説明担当の背の高い白人女性職員が目の前に立ちふさがる。「あなたには選択肢はありません」「なぜでしょうか」「パットダウンかX線スキャナーのどちらを選びますか?」「金属探知機ゲートを通過させてください」「そのような選択肢はありません。」「わたしが癌になったらあなたは個人的に責任をとってくれるのでしょうか」
女性職員が前に踏み出した。「どういうことか、説明しましょう」。脳裏に陵辱的なパットダウンの恐怖が走った。思わず爪を立てた右手で彼女を押し返したところ、目の前にあったのは彼女の胸だった。彼女が叫ぶ。「わたしに触りましたね。あなたはわたしに触った。誰も私の体に触ることは許されません」「でもあなたたちはいつでもわたしたちの体を触ることが許されているじゃないですか」「わたしはあなたを触っていません。でもあなたは今わたしに手を出した」。すかさず、左側にいた若い警察官が口をはさむ。「こいつを性的暴行罪で訴えますか?」。TSA職員の女性はふとためらったが、警察官がたたみかけるように言う。「こいつを性的暴行罪で訴えますか?」。多くのTSA職員が見守る中、担当職員の女性は答えた。「はい」
あっという間に女性警察官がわたしの腕をつかみ後ろ手にまわし手錠をかける。多分、四時少し前だっただろう。たちまち複数の警察官に囲まれて空港内の牢獄に連行され勾留となった。身につけていた時計やペンダントも外され、手荷物に入っていた携帯電話も使えない。牢獄の中に入ってきた女性警察官は、まずわたしを壁に向わせ、後ろからわたしの乳房をつかんだ。これもパットダウンだという。上から下までわたしの体を触られている間、泣き叫ぶわたしに向って数人の警察官たちが「子供みたいに泣くな」とせせら笑う。先ほどTSA職員女性に「性的暴行罪」を提案した警察官はコンピューターに向って報告書を書き始めた。「お前はすでに罪を認めたんだから、つべこべ言うな」「何の罪でしょうか。何も認めていません」「黙れ」
航空会社の搭乗口から警察に電話が入る。四時五〇分発の飛行機には乗ることができないということが確定した。自分の身に起きていることがとても信じられなかったが、勾留されても弁護士に連絡する権利はあることを思い出した。ただ、どんな電話番号も頭に浮かんでこない。電話帳は剥奪されたままだ。唯一覚えている電話番号があった。それはこれまで数年間、毎年何度も資金調達キャンペーンでマイクに向って繰り返してきた非営利ラジオ局KGNUの電話番号だ。
「KGNUです」「あ、ゆかりです。今フェニックス空港で逮捕されました。これからフェニックス市内の牢獄に連行されるということを誰かに伝えたいと思って電話しました」「アリゾナのACLU(米国自由人権協会)の番号を教えてあげるからちょっと待って」「時間がありません」
急いで伝えてもらったアリゾナ州のACLUの番号に電話しようとしたが、なかなかつながらない。ようやく短いメッセージを残したが、誰がいつメッセージを聞いてくれるのか不明だ。
携帯電話を再び取り上げられ、手荷物はすべて中を開けられて押収リストに記録され、身分証明書とともに保管先の施設に送られることとなった。身元を証明する術も情報も取り上げられたわたしは突然「無名の囚人」となった。泣き疲れたわたしに向かい、わたしを逮捕した女性警察官はふと打ち明けた。「わたしも現在のTSAの仕組みが正しいとは思わない。飛行機で旅行することは極力避けている」
<マリコパ・カウンティでの投獄>
二、三時間後、警察の護送車の迎えが来た。真っ暗な護送車の中はアリゾナの熱気で息がとまりそうなほど暑い。小さな窓をたたいて護送運転中の若い警察官に訴えたが「すぐに着くから我慢して」と言われる。そして人種差別と移民抑圧政策で悪名高いマリコパ・カウンティのジョー・アルパイオ保安官管轄下にあるフェニックス市フォース・アベニュー牢獄に着いた。アリゾナ州では監獄の建設や運営を私企業に委託する「私営化」が進んでおり、投獄者が増えると企業が儲かる歪んだ仕組みになっている。フォース・アベニュー監獄の運営についても利権、税金濫用、不正運営をめぐり汚職スキャンダルが絶えない。
牢獄内で目撃したことや、そこで聞いた話など詳しい経緯についてはまた別の機会にアリゾナ州のセキュリティ産業・牢獄企業の実態をテーマに論考を書きたいと思う。
さまざまな手続のプロセスを経た後、煌々とした照明と極度に冷房が効いた独房に入れられた。電話機がついていたが機能していない。間もなくそこから別の場所へ連れていかれ、矢継早に屈辱的な体験にさらされた。一度男性担当官から全身パットダウンを受けたが、日本語ができる人物だった。小さい声で「ゴメンナサイ。スミマセン」と囁いた。指紋採取の部屋に連れて行かれたときには、夜勤の係の若者たちが「こんな馬鹿らしい例は見たことがない。朝の三時には釈放されるはずだ。我慢して」と教えてくれる。彼らは学校で司法を学んでいるインターンのようだった。また独房へ。あちこちから叫び声や泣き声が聞こえる。コンクリートの上でまったく眠ることなどできない。すぐに時間の感覚がなくなる。その後、牢獄内の裁判所で罪状を伝える女性裁判官の前に呼び出され、午前二時だということがわかった。私の順番が来ると裁判官は「あなたの場合はすぐに釈放すべき件だと判断しました。しかし現在検察側がフェニックス市の警察と交渉したいと言っているので、午前八時まで待ってください」
その後、大きなセルに連れて行かれたのは深夜三時近くだったろうか。大部屋に詰め込まれていた女性たちはわたしを含めて二四名。全員がマイノリティで白人女性は一人もいない。ヒスパニックの若い女性たちが一番多く、ブラックの女性が数人、ネィティブ・アメリカンの女性が一人。もう一人わたし以外にアジア系の女性が一人。みな、逮捕されてから二四時間、水も食べ物も与えられていないという。わたしの隣に座っていた二四歳のヒスパニック女性は、おとりの警察官にフードスタンプ(低所得者向けの食料費補助券)の売買を誘いかけられて現行犯で逮捕されたという。ヒラー・リバー・インディアン居留地在住の女性はお金がなくて車のナンバープレートの登録更新が遅れていたため逮捕されたという。泣きじゃくりながら他州に住む母親に電話しようとしていた小柄なブラックの女性は二〇歳だと言った。摂氏四三度を越える炎天下のフェニックスでタンクトップ一枚の服装そのままで逮捕された女性たちは、冷房を極度に効かせた部屋の冷たいコンクリートの床で眠ることもできない。寒いのでみんなで体を寄せ合おうということになり、彼女たちがわたしの回りに集ってきた。わたしの膝に頭をのせて眠る子もいた。そしてそれぞれの身の上話を聞いた。
「ゆかりはどうして逮捕されたの?」「空港でX線ゲートを拒否したからよ」「え~!信じられないわ」「どんな嫌疑であれ、誰でも基本的な人権があることを忘れてはだめよ」「うん」「自分の身の上に起きたことを世の中に知らせていく手段があるはず。不当な逮捕や差別にあったことを世の中に伝える必要があるわ。例えば<デモクラシーナウ!>のウェブサイトに書き込むとか、ブログを書くとか、地元のグラスルーツ運動を作るとか、積極的に社会に働きかけなくちゃ」「ゆかりみたいになりたいな」「できるよ」「うん、やってみる」。あまりにも素直な反応で彼女たちがなおさらいとおしく感じられた。話がもりあがっているとき、看守が現れ、わたしはひとり再び独房に連れて行かれた。
「何か理由があるのですか」と看守に聞いてみた。「他の囚人たちに悪い影響を与えている」。どうやら、話は盗聴されていたようだ。
長い時間が経った。小さな窓に顔をはりつけるようにして独房の前を往来する人々に呼びかけて時間を訊いたが、ほとんど無視された。さっきまで大部屋で一緒だった若い女性たちが別の場所へと連れて行かれるらしく、わたしの窓にむかって笑顔で手をふっている。わたしも手をふった。彼女たちのことは忘れない、と誓った。
ようやく金曜日午前九時頃に再び裁判官の前に立った。今回の裁判官は年配の男性だ。「検察が警察側に連絡しなければならなかったので時間が延びました。『性犯罪』の根拠などまったく成り立たないので起訴はありえませんが、書類の確認が必要なので、月曜日にもう一度裁判所に電話をしてください。旅行は自由にしてください。」「ありがとうございます」
それからさらに四時間ほど独房に待機し、昼過ぎに釈放となる。タクシーが待ち構えていたので町の反対側にある所持品保管所まで引き取りに行き、Uターンして再びフェニックス空港へ向った。タクシー運転手は全額二〇〇ドルを請求した。ぼられたのはわかったが抵抗する気力はなかった。
<インターネットでTSAに対する不満爆発>
フェニックス空港で前日とまったく同じセキュリティ・チェックポイントに立つ。ゲートではまたもやX線ゲートを指定されたので金属探知機ゲート希望を伝えたが、再び拒否された。蹂躙の思いをこらえてパットダウンを受けながら叫び声を抑え、涙がとめどなく流れた。広い空港でTSA職員たちが遠くからわたしを指差したり、陰口をたたいているのを横目で見ながら搭乗口に向かった。
コロラドの自宅に着いたのはすでに深夜一一時過ぎ。留守にしていた我が家に灯りがついたことに気づいた隣人からさっそく電話がかかってきた。メディア報道がとんでもないことになっているという。昼間フォックスニュースがわたしの家を訪れ、写真を撮ったついでに彼らのドアを叩いたのでインタビューに応じたが、夕方のニュースを見たら自分の言ったこととはかけ離れたことが報道されており、わたしの人格を冒涜するような内容になっているというのだ。「もう二度とメディアとは話さない。注意が足りなくて申しわけない」と何度も謝ってくれた。
翌朝からメディア・サーカスが始まった。朝早くからドアをノックする人たちが絶えない。戸口には出ないことにした。家の出入りには気を使った。外出から戻るとドアにはいくつものメディア企業の名刺がはさんである。自宅前のパーキングにはテレビ局のバンが待ち構えていて写真を撮ろうとする。ニューヨークやロスアンジェルスのラジオ局やテレビ局からのインタビューの申し込みで留守電もメッセージで満杯だ。
週末に弁護士が見つかり、まずメディア対応をお願いした。なにごともなかったように、月曜日に再びフェニックスへ出勤、仕事に専念した。
週末にコロラドへ帰宅してみると、インターネット上でわたしを支援するサイトが次々と立ち上がっていることを知らされた。TSAの女性職員による「乳房をつかまれ、乳首をねじられた」という主張に対し、「それ以上の破廉恥なことをTSAは毎日やっているじゃないか」という怒りの声がたくさん書き込まれている。個室へ連れて行かれて大人用のおしめを外された年配の女性の事件がごく最近報道されたが、車椅子に乗っている人たちやお年寄りに対する容赦のない乱暴な扱いは後を絶たない。体につけた特殊な医療機器を無理やり外されたり、処方薬を取り上げられたりして深刻な身体的被害を受けた人たちも多い。手術の傷を手荒く触られた人の話は茶飯事だ。
全身スキャン上で全裸のイメージを見ながらスーパバイザーがパットダウンの係員にさまざまな部位を触るように指示していたという苦情を書き込む若い女性もいた。性的ないたずらを受けるのは単に若い女性たちだけではない。小さな赤ん坊のおしめを外したり、幼い子供が泣き叫んでいるのにパットダウンを強行する例も数々ある。持ち物を盗まれた人たちも多い。アメリカでは四人に一人が生涯なんらかの形で性的な暴力を体験するというが、TSAによる過剰なパットダウンはそのような被害者にとってはさらなるトラウマ再発の原因となる。わたしの事件と同じ頃、テネシー州で一四歳の娘に対する手荒なパットダウンを止めようとした母親がTSAに逮捕される事件があり、現在裁判の真っ最中だ。
わたしの事件が起きる前日の七月一三日には、同じフェニックス空港で、ある男性がわたしと同じようにX線ゲートを拒否し、金属探知機ゲートを希望してパットダウンを受け、いやがらせとしてTSAのエージェントに性器を意図的に五回握られるという事件があった。この男性はほぼ一週間以上沈黙していたらしいが、意を決してTSAによる性犯罪を正式にフェニックス警察に訴える手続を行った。現在、警察はこの申立て受理を拒否している。つまり、フェニックス空港の警察はTSA職員を擁護するが、TSA職員による不正行為から市民を守る役割は拒否している。TSAの暴挙に関する報道はこれまでにもあったが、今回わたしに対する過剰で不当な逮捕というスキャンダルでTSAへの怒りが一気に盛り上がった。数々の屈辱の体験を書き込む人々が集まり、ファンページのひとつは現在でもおよそ五〇〇〇人が登録している。
しかし、わたしにとって、この事件は未だに解決していない。
「性犯罪」という突拍子もない重罪起訴嫌疑が法律的に成立しないことが自明となった事件勃発一週間後も、検察側から公の発表は何もなかった。わたしの弁護士が頻繁な問合わせを行って、カウンティの検察がわたしの事件は重罪起訴に値しないと結論したことをようやく確認した。その根拠は(1)性的動機によるものではない、(2)TSA職員は法執行機関の職員ではないため警察官への暴行とは見なされない、というものだ。この事実をプレスリリースとして報道機関に送付し、支援サイトに公開することで、ようやく嫌疑が晴れたことが報道されるようになった。しかし地元フェニックスでは一部報道機関がいまだに「乳房」「性犯罪」にこだわる稚拙なスキャンダル報道を流している。
フェニックス警察はTSAの擁護、わたしに対する冤罪と過剰な不当逮捕が逆効果となって面目をなくしたが、検察は司法管轄圏をカウンティから市に移し、さらに軽犯罪起訴を検討している。州外に住むわたしに対する出訴期限は一年である。そして今日、TSAから手紙が届き、最高一万一千ドルの罰金の可能性が提示された。事件からすでに一ヶ月が過ぎ、人々の関心が薄れても、わたしのトラウマは消えない。冤罪の責任を追及し名誉を回復するためには法的コストを捻出する必要もある。
<反テロ政策の犠牲となった権利章典>
TSAの暴挙がなぜこのように繰り返されるのか。九・一一事件後、反テロ政策の名目で米国の司法制度に例外的措置が広く施されたことから生まれた数々の組織的な矛盾も大きな原因だろう。さらに、反テロ政策を口実に成長する監視技術企業の利権問題や曖昧な入札プロセスも見逃せない。従来の金属探知機の値段は最高でも一台七〇〇〇ドルであるのに比べ、X線スキャナーは一二万ドルにも及ぶが、公に意見を募る機会も民意を反映する仕組みも設けずに高価な機械が導入された経緯に対する批判が高まっている。金属探知機では識別できないプラスチック爆薬探知のためという名目で導入されたX線スキャナーであるが、GAO(米国会計検査院)の調査結果によると、二〇〇九年のクリスマスにイエメンの若者がプラスチックの爆薬を下着に隠してノースウェスト航空機に搭乗した事件は、X線スキャナーでは阻止できなかったとされる。また、高額なコストを正当化するためにX線スキャナーの使用回数を増やす必要があり、攻撃的パットダウンを導入して、ほぼ強制的にスキャナー使用を普及させようとしているとする見解もある。
さらに、TSA職員に求められる教育や訓練のレベルが極度に低いということは広く知られるところだ。貧困・雇用問題・教育不足といった現在のアメリカ社会の縮図でもある。現在全米で約五万人とされるTSA職員は、高校を卒業していなくても守衛の履歴が一年以上あれば資格が得られる。給与も極度に低いので、不況の続くアメリカ国内で他の仕事に就けなかった人々が集まる傾向があり、その中には犯罪歴のある者が紛れ込む可能性も高い。二〇一一年だけでも八月時点ですでにTSA職員による犯罪が四〇件以上発覚している。
TSA職員はテロリストを発見するために必要なセキュリティ専門知識を習得しているわけでもないし、犯罪学や心理学の学位があるわけでもない。また年配の人や子供の体に手をかける職業に求められる種々のライセンス(医学、児童心理学など)も持っていない。硬直したルールのみを頼りに、個々の状況で知的判断が許されない環境でロボットのように非人間的な判断を下すしかない。特に公衆から疑問を呈されたり、少しでも事前のシナリオから逸脱した状況が生まれた場合、職員には柔軟な対応能力やトレーニングが欠如している。
このような体制ではTSAが真剣なテロ対策の最前線を守れないことは目に見えている。本来の目的である「航空機乗客の安全を確保すること」から逸脱し、TSAは現在米国市民が社会の基盤としてきた権利章典第四条(令状主義)[注]そのものを侵蝕する脅威的存在となってしまった。
[注:憲法修正第四条は、令状もなく行政機関が個人の身体や持ち物を捜索したり逮捕したりすることを固く禁じている。しかし、ブッシュ大統領以降、急激に大統領の行政権が拡大し令状もなく市民が捜索を受けたり、秘密のうちに拉致され国外へ拷問のために送り込まれる傾向が強まり、マグナカルタの時代から受け継がれてきた人身保護法の前提もほぼ完全に無効になりつつある。]
米国憲法中、人権保障を明確に表明した憲法修正第一条から第一〇条にあたる部分は「権利章典」と称して、建国の父トマス・ジェファソンとジェームズ・マディソンが特に洞察と智慧を注いで草案を練った。三権分立による米国民主主義の基盤として重んじられてきた権利章典は、一人一票の力を守る法治国家の砦である。ジェファソンは、中央集権的な企業国家を目指す富豪資産家勢力が公益を侵害し人権を踏み躙る可能性を憂慮していた。マディソンは、「戦争」や「国家の安全」の名目による行政権濫用と拡大が民主主義にとって最大の脅威となることを警告していた。先見の明ある彼らの懸念は残念ながら米国の歴史の中で現実となり、資本家勢力は憲法修正第一四条(元奴隷黒人の「個人としての権利」を確保することを意図した条項。米国司法権下で個人に対する法の平等保護を否定してはならない、とする。)の解釈を捻じ曲げ、一八八六年の訴訟で「企業という個人」という概念の導入が実現した。それ以来、オイル企業、エネルギー企業、農業企業や製薬企業、軍事企業などが「個人」の権利を主張し、膨大な資金を使って議会にロビイストを送り込んできた。こうして政治献金の圧力で企業にとって不利な方向を目指す選挙候補者が簡単につぶされる傾向が強まり、一人一票の重みを凌駕することが許される先例が積み上げられてきたのである。権利章典が実施されてからわずか二二〇年、ジェファソンやマディソンが築いた建国の志を失い、米国の運命がいま根底から揺らいでいる。
わたしのサポートサイトにはこれまでTSAとの法律的な葛藤を体験した人々の体験談を綴る投稿が満載だ。しかし、現在のところ、TSA法には職員を監視したり職員の犯罪を罰する仕組みはほとんどない。九・一一以降の反テロ対策の名目のもとに国家安全のお題目を最優先する政策がまかりとおるようになってから、辻褄の合わない法律的環境でTSAの管轄が無法地帯になってしまったのだ。そのためTSAに対する集団訴訟がほぼ不可能な状態にあり、原告による証拠収集手段も極度に限られている。米国各地にわたしの場合と同じようにパットダウンに抵抗したことが原因で「TSA検査官を攻撃した」という嫌疑をかけられた女性が少なくとも数人おり、それぞれ名誉毀損の訴訟を起こしているが、ある人物は訴訟に二万ドル以上費やし、ようやく二千ドル分の慰謝料を受け取ったという報告をしている。市民がTSAに対して法的権利を行使できるのは控訴する場合だけであるとされ、わたしのように嫌疑をかけられたまま起訴されない場合は汚名だけ残されて泣き寝入りしかないという意見も聞いた。従来から人権問題に取り組んできたACLUでさえも行き場のない法律環境でTSAの横暴に関する訴訟にはなかなか手が出せない状態らしい。
テキサス州では、今年の六月、州議会下院で保守派共和党議員がTSA職員による不正行為を取り締まるための議案を提出し、正当な根拠を持つ疑惑なくしてTSA職員が旅行者の性器に触れることを軽犯罪として取り締まり、罰金四〇〇〇ドルと禁錮刑一年を科すという法案が通過した。しかしTSA側は連邦政府の法案が州政府の法案を凌駕することを許す憲法の最高法規(優越)条項を盾にして、この法案に反論した。また連邦政府の立場を代弁する司法省がテキサス州への航空をキャンセルさせる可能性をちらつかせたため、テキサス州議会上院ではこの法案に対する議決は行われなかった。
ここで興味深いのは、国家安全のポリシーをめぐり、国土安全保障省やTSAに関する政治ドラマのシナリオがねじれている点だ。九・一一以降ブッシュ大統領による行政命令の数々で米国憲法のエッセンスである権利章典の実質的効力が弱体化したが、民主党による政権交代でオバマ大統領になってから、権利章典の崩壊はさらに深刻化している。
カリフォルニア州では、民主党の先進派幹部会がオバマ大統領による数々の裏切りをリストに挙げた。
– ブッシュ大統領時代に確立された抑圧的な愛国法を継続し、市民自由権の侵害を継続している
– 数々の国際法準拠を怠っている
– ブッシュ大統領によって侵害された内部告発者保護や人身保護法など適正な法手続きの回復をおろそかにしている
– 反戦のプロテストを行う市民に対する全米規模のFBIの家宅捜査を継続している
– ニューディールから受け継いできた社会保障、メディケア(高齢者向け医療保険制度)、メディケイド(低所得者向け医療費補助制度)、貧困絶滅への取組みにかかわる予算削減を独断で行った
– CIAによる不法かつ秘密の無人飛行機攻撃など、議会の承認のない戦争を拡大し軍国主義を推し進めている
– 住宅ローン危機が収まらず差し押さえで家を失う国民が増えているにも関わらず、ブッシュ大統領による富裕層への減税や巨大銀行の救済を継続している
八月現在、カリフォルニア州民主党先進派幹部会は代替大統領候補者選出を推薦したことから追放の危機にさらされ、党内分裂が危惧されている。上記の裏切りリストの内容は、大統領行政権のさらなる拡大に寄与し「法治国家」の基盤をゆるがす先例となり、米国の未来に暗い影を落としている。
TSAの問題に限って言えば、現在EPIC(Electronic Privacy Information Center: http://epic.org/ )という団体がTSAにX線スキャナー禁止を求めて訴訟を起こしている。また米国議会下院では健康への危険性とプライバ シー侵害を理由に、TSAが要求していた全身スキャナー二七五台の購買予算二六〇〇万ドルを含む二億七〇〇〇万ドルをTSA二〇一二年予算から削 除することを承認した。ただし、上院でどのような展開になるのか、各要因は明らかではない。また市民団体National Association of Airline Passengers (http://www.righttofly.org/ )は、TSA監視体制を確立する規制案を練っている。わたしも今後はTSAの被害者たちとの連帯を広げ、支援者の応援に応え、TSA改善への圧力を盛り立てていくためにこれら市民団体による積極的な調査活動や訴訟活動に協力、参加していくつもりだ。今後の展開について多くの皆さんに見守っていただけますよう、心からお願いしたいと思う。
宮前ゆかり弁護基金サイト:http://www.facebook.com/YukariDefense