TUP BULLETIN

速報358号 原爆記念日の追憶 04年8月17日

投稿日 2004年8月17日

☆原爆59周年記念日の追憶★
6日広島、9日長崎、15日敗戦――8月は、多くの人にとって、過去を追憶し、平和とは言えない今という時に思いをめぐらす季節でしょう。ヒロシマ平和祈願の日、トム・ディスパッチの多忙な編集者が、静かな追憶を分かち合ってくれました。かれが語る物語のなかに、たぶんわたしたちの誰もがそれぞれの居場所を占めているのでしょう……沈黙しながら。  /TUP  井上
凡例:  (原注)[訳注]

[編注]本稿はトム・ディスパッチ企画、広島・長崎ウィーク3回シリーズの初回 — TUP速報360号(初回)、362号(最終回)に続く。

ヒロシマ・ストーリー:
三人の人物、それぞれの沈黙

――トム・エンゲルハート
2004年8月6日 トム・ディスパッチ・サイト
—————————————————————-

ニューヨーク市の9・11攻撃現場は、事件の直後から“グラウンド・ゼロ”
と呼ぶのが慣例になった。この呼び名は、かつては核兵器の爆心地の意味で用
いられた特別な言葉であり、広島、長崎両市への原爆攻撃の意味も、みずから
の手で幕を開いた核時代の意味も、アメリカ人は本当には理解できているとは
言えない。

原爆が、世界の終焉を告げるビッグバン(大爆発)として、冷戦期アメリカに
取りついていたことには疑問の余地がありえない。あのころ、若者たちが、B
級ホラー映画に形を変えた核の惨事を飽きもせず眺めつづけていた一方で、世
界を動かしていた大人たちは、終末兵器に途方もない資金を注ぎこみ、数万発
に達することになる核兵器備蓄に励んでいた。

やがてソ連がきわめて平穏に崩壊し、ついに冷戦が終結したが、それでも核の
「平和の配当」が届けられることはなかった。敵対していた往時の超大国双方
の武器庫は、規模は縮小されたとしても、奇妙にも手付かずであり、新たな任
務に備えて、静かに核兵器が配備されたままなのだ。その一方、目が届かない
所で、新たな国ぐにが独自の威嚇的なミニ冷戦を発動する意志を固め、核兵器
製造法の知識が拡散している。

広島の相生(あいおい)橋の上空で、最初の爆弾が破裂してから50年目の1
995年になっても、アメリカでは、核の創世記についての意見はまとまりそ
うにもなかった。1945年8月6日は、世界戦争の壮烈な終幕だったのだろ
うか? それとも、新時代の不気味な幕開けだったのだろうか? ヒロシマ原
爆を投下した爆撃機“エノラ・ゲイ”と、広島から運ばれてきた学童用弁当箱
の残骸とは、ワシントンDCのスミソニアン国立航空宇宙博物館の一室に並べ
て展示するわけにはいかないことが明らかになった。

今日、ブッシュ政権が、将来の“核拡散予防戦争”に備える最適な戦術兵器と
称し、核を利用した新世代の“バンカー・バスター[地下遮蔽物貫通]爆弾”
の開発を推進していることで、この惑星の若者たちがうなされる、地球温暖化
など数多く犇(ひし)めく世界終末の悪夢に、かつて世界を比類なく脅かして
いた兵器をまたもや加えなくてはならなくなった。わたしのような一定の年代
の人間にとっては、今でもヒロシマがすべての出発点なのだ。そこでわたしは、
この8月6日、誰も本当には語りえなかったように思える核の物語について、
もう一度、記事をいくつかまとめてみようと思う。

わたしの物語には、3人の人物が登場し、会話はない。一人目はわたしの父で、
日本による真珠湾攻撃の直後、35の歳で陸軍航空隊に志願した。ビルマ戦線
で戦った父は、戦時体験について痛ましくも何も語らないまま、1983年の
パールハーバー記念日に亡くなった。二人目のわたしは、あらゆる場で父の戦
争が美化されていた世界で育ち、あのころ、どこの公園でも、日本兵皆殺しが
空想アドベンチャーの定番だった。その反面、わたしの見ていた夢の中では、
核絶滅戦争が定番だった。最後に登場する日本人の少年については、その名前
も、運命も、わたしには知ることもできない。

これは、沈黙に沈黙を重ねる物語である。その一番目は、父の沈黙であり、こ
れは、わたしの自作自演の空想アドベンチャーの障害になるものではなく、か
えってわたしの想像力の糧になった。1950年代のころ、寡黙は、男の雄々
しさを示す美徳と考えられていたようだった(たぶんそのとおりだった。もっ
とも、あの時期にわたしが思っていたのとは、意味合いがまったく違うが…
…)からである。当時、第二次世界大戦の映画を観にいったとき、暗がりの中
で父の隣りに座っているだけでじゅうぶんだった。

父の戦争でわたしが知っていた部分は、最後の作戦[原爆投下]だけであり、
そのうちに分かってきたが、これについても、訳の分からない沈黙が支配的に
なっていた。父には、核絶滅戦争という考えじたいが無縁であるようだった。
わたしは、他の学童たちにまじって核攻撃避難訓練を体験し、外ではサイレン
が鳴り響いていたが、父は――疑いの余地なく――平然と事務所で仕事を続け
ていた。10代のころの映画生活で、放射線を浴びたアリや放射能ミュータン
トの怪物が地球を踏み荒しているのを見つめていたのは、わたしだった。フラ
ンス映画「ヒロシマ、我が愛(Hiroshima Mon Amour=邦題:24時間の情
事)」にあった、原爆による人体被害の場面をはじめて見て、ショックを受け、
映画「渚にて(On the Beach)」に描かれた状景に、世界終末のリアルなイ
メージを掴んだのは、わたしだった。キノコ曇が湧きあがる夢を見て、熱線で
腕が焦がされると感じた途端、ハッと目覚めたのは、わたしだった。これらの
体験のどれ一つとして、わたしは父に一言も言わなかったし、父も黙っていた。

だが、かつての敵については、父は寡黙でなかった。かれは戦争が煽りたてた
激しさで日本人を憎んでいた。かれは、知り合いの“男の子たち”にはとても
話せないような“こと”を奴等はやったのだとわたしに語った。アメリカによ
る友好的な日本占領とか、敗戦国が同盟国として復活したとかの、その後の歴
史は、かれにはどうでもいいことだった。

父は、およそ日本的なものはすべて憎んでいたが、その憎悪が、わたしの幼年
期支配的な激情として刻印されたわけではなかった。と言うのも、わが家の日
常に日本的なものがまったく存在しなかったからだけのことだが…。(だれも
日本製品を買わなかったし)日本を思わせるものは家の中にまったくなかった。
街の近辺でただ一軒の日本食レストランは避けて通ったし、日本人の訪問客も
まったくいなかった。戦争映画に登場する邪悪な日本人でさえ、今ではわたし
にも分かっているが、いつも非日本人の俳優が演じていたのであり、自殺同然
の運命を前にしても、ニヤリと笑って、「俺は、君と同じ南カリフォルニア大
卒なんだ」と耳打ちしてもおかしくなかった。

たぶん父があれほど激しく拒んでいた世界だったからこそ、かえって惹きつけ
られたのだろうが、結局、わたしは我が道を辿ってヒロシマへ行くことになっ
た。1979年に、わたしは、あの日を生き延びたヒロシマ住民たちの描画集
『忘れえぬ火(Unforgettable Fire)』の出版に編集者として関わったのであ
る。思うに、まとまった数でヒロシマの人的被害を描いた絵をアメリカ文化の
表舞台に紹介したのは、その本が初めてだった。1982年になって、その本
の日本側編集者のおかげで、わたしは日本を訪問し、広島へも連れていってい
ただいた。ヒロシマ体験は、帰国してからも言葉にはなりえなかった。ヒロシ
マは、父と共有することになる沈黙の一部になった。

ここまでの物語は、どちらかと言えば簡単である。二つの世代が、戦争と原爆
投下にまつわる溝に隔てられて顔をあわせているだけのことだ。これなら、だ
れもが知っている物語にすぎない。だが、ここに第三の人物が登場し、第三の
沈黙が存在することになる。ほんの数年前、40年近くも忘れていたのに、あ
る日本人の少年が時を超えて、わたしの意識に浮かびあがった。1950年代
中頃のある日、どのようにかれと連絡がついたのか、わたしは憶えていないし、
もはや想像もつかない。その日本のペンパル[文通友だち]は、わたしと同じ
く11か12の年齢だったのだろう。たがいの写真を交換したのだろうが、か
れの顔はわたしの記憶に残っていないし、名前も意識に浮かんでこなかった。
かれの住所を封筒に書いた記憶はないが、その年頃にありがちの冗談半分で自
分の住所(「宇宙、ギャラクシー、太陽系、USA、ニューヨーク州、ニュー
ヨーク市」)を書いたことは憶えている。あの頃でも、ニューヨーク州の首都
はアルバニーという名の場所であると知っていたが、やはりニューヨーク市が、
わたしにとって世界の中心であると思っていたのである。多くの意味で、わた
しは間違っていなかった。

わたしの日本人ペンパルは、東京に住んでいたのに、そのような幻想は持って
いなかった。わたしと同じように、かれは疑いなく第二次世界大戦中に生まれ
ていた。かれは、たぶん生まれて最初の年に、焦土になった日本の市街地のひ
とつから疎開したのだろう。あの悲惨な戦争は、かれには記憶に残るものでは
なかっただろう。1950年代に、かれも父親と映画を観にいっていたとした
ら、(米空軍ではなく)ゴジラが東京を破壊しているのを見たことだろう。ア
メリカによる占領の初期、あの経済的に苦しかった日々などは憶えていなかっ
たかもしれない。だが、当時のかれは、自分のいる場が宇宙の中心であるとは
想像できなかったことだろう。

かれの手紙の感触については、かすかに記憶がある。きっと基本重量内に(そ
して切手代を)抑えるために、ペラペラの薄さだった。もちろん、二人の使用
言語は英語だった。なにしろ、銀河宇宙の太陽系全体とまではいかなくても、
この惑星の大部分が、わたしの街から太陽光線のように放射する万国共通語を
用いて動きはじめようとしていた頃である。だが、もっともよく憶えているの
は手紙に貼ってあった(また同封もされていた)異国の切手類だった。父と同
じく、わたしは熱心な切手収集マニアだったからである。日曜日の午後、父と
わたしは切手を並べ、スコット切手カタログで調べながら、アルバムに整理し
た。このようにして、わたしたちの切手アルバムは、あの少年が提供してくれ
た日本切手のコレクションで一杯になっていったが、父はいっさい黙っていた
し、文句も言わなかった。

わたしたちが手紙のやりとりしていたのは、1年か2年ほどの間だった。いつ
のまにか、もはや何だか分からない方向に、わたしの(あるいはあの少年の)
興味が移ってしまって、今では、一通の手紙も残っていない。たぶん辛抱性の
少年だけが手紙を書きつづけられたのだろう。いずれにせよ、かれもまた沈黙
の領域に移ってしまった。今、父とわたしとで切手アルバムの整理にいそしん
でいた、静かで親密な時を追憶しながら、かれは、わたしたちの生活に議論を
持ち込まむことなく、束の間だけ存在していたのだと気づく。たぶん、かれは、
沈黙がつくりだす、あいまいな空間のなかに、わたしたち二人のために存在し
たのだろう。そして今、どんな核の夢を父は見ていたのだろうかと、時どき、
わたしは思いを巡らす。

ある意味で人類すべてにとって、地球は1945年8月6日に地軸から無理矢
理外されたのであり、あの瞬間に、父の戦争が終わり、わたしの戦争――冷戦
――が始まったのである。だが、わたしにとって、話はもっとこみいっていた。
と言うのも、父とわたし、そしてあの少年は、長い歳月、同じ世界の上に共に
存在し、互いの沈黙を受容しつつ、それを潤色していたのだから。

あの爆弾は、いまだに裂傷のように、だが反面、惹きつける流れ――密かな連
帯――のように、わたしたちの生にまとわりついている。それが歴史に刻んだ
裂け目は深く、原爆以前に大人になっていた人たちと、以後に成長した者たち
の体験の違いを考えれば、世代間ギャップはまことに深刻だった。だが、いか
に測りがたく深く、辛いものであっても、どのような物語も、わたしたちが共
に登場人物として苦しみ、憎み、愛し、そしてとりわけ沈黙しながら生きてき
た道筋を包み込んでいるに違いないだろう。

例年とは特に変わり映えしないヒロシマ59周年の今年、わたしたちが語る術
もない物語について、たぶん少しは考えるだろうし、1995年の時のように
エノラ・ゲイを栄光の象徴として展示しようが、その金属製の心臓に杭を打ち
こんで、地中深く埋めてしまおうが、感情に深く根を下ろし、消えることのな
い、わたしたちを結びあわせる恐怖について、たぶんわたしたちは少しは思い
巡らすことになるだろう。存在していなかったはずの日本人少年が、これまで
語ることもできなかったわたし個人の物語のために、束の間、わたしたちと共
にいてくれたのである。かれは、たった今、たぶんかれ自身のまったく異なる
沈黙の記憶を抱きながら生きているのだろう。今、かれを想いながら、かれ、
わたしの父、そしてわたしが、沈黙以外には役割を持たずに、同じ物語に共に
いると考える時、奇妙な思いがわたしの胸に湧きあがり、その感慨をわたしは
説明できないでいる。

—————————————————————
[筆者]トム・エンゲルハートは、ネーション研究所トム・ディスパッチ・コ
ム(“抗マスメディア解毒剤”)管理者、アメリカン・エンパイアー・プロジ
ェクト(American Empire Project: www.americanempireproject.com )共同
創立者、メトロポリタン・ブックス(Metropolitan Books)顧問編集者。著
書: “The End of Victory Culture, a history of American triumphalism
and the Cold War,” 共同編集書:”History Wars, the Enola Gay and Other
Battles for the American Past.”


[原文]Tomgram: Three characters, no dialogue
by Tom Engelhardt posted at TomDispatch, August 5, 2004
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?pid=1666
Copyright C2004 Tom Engelhardt TUP配信許諾済み


[翻訳] 井上 利男 /TUP